良心の呵責を覚える可能性は、極めて低かった。

また、情状面を考慮した判決を下すことは、社会通念上、当然に容認されるべきものであるものの、裁判所という平等な判断を下す場で、他方の情状にのみ酌量の余地を与えることは、許される行為ではないと解するべきである。
それはというのは、もう一方の当事者である被告人フィリピン・サン・バナナにも、バナナが安い時代に産出されたという点で、酌量の余地は見込めるし、「バナナはデザートである」という環境で生まれ育ったことから鑑みても、被告人が自身の発言に、前もっての良心の呵責を覚える可能性は、極めて低かったと言えるからである。
皆、生きてきた時代や環境によって色々ある。
従って、被告人の発言が、原告に精神的苦痛を与えしめる程度のものであったと、いうことはできない。
被告側の主張「バナナはデザートである」について
次に、「バナナはデザートである」との主張をしていた被告側についてであるが、これについても当裁判所は、被告側の主張を概ね退ける判断を下した。
被告側弁護人は、バナナは形式上、果物に分類されているという社会事実がある旨主張していたが、正確に言えばバナナは草本(木にならない植物)であるから、生物学的には竹類と同じ野菜に分類され、被告側弁護人の主張するそれは、単なるイメージとしての主張でしかない。
あらゆる要素を照らし合わせ、総合して判断を下すとすれば、世間の呼称は何であれ、被告人は野菜なのである。
しかしながら、パフェやケーキ、クレープといった社会生活の中でデザートに分類されているものの材料として、頻繁に使用されているという事実から、被告人フィリピン・サン・バナナの発言には、ある程度の理解を示すことができるし、バナナを当然に野菜と分類してしまうのも、少々味気ないところがある。
当裁判所の判断によって、日本におけるバナナの文化的価値までを貶めることは、その本意ではない。
よって当裁判所は、被告、原告、両人の主張を退けつつも、学術的な分類とは別に社会的な分類を設け、バナナを甘くておいしい食べ物と新たに認定することとする。
最高裁裁判官 島 緑助
バナナは甘くておいしい食べ物
以上の判決により、バナナはおやつでもデザートでもない、甘くておいしい食べ物であるという判断が確定された。
この判決を受けて、原告側は本件の担当弁護人を新たな原告に立て、バナナをおやつの費用として計上した当時の担当教師を告訴することを決定。
一方、被告人であるフィリピ・サン・バナナ氏は、特に原告を名誉棄損などで
訴えるつもりはなく、保釈され次第、元勤め先であるフルーツパーラー『やすこ』の皿の上に戻る予定だという。














