約30年間にも及ぶ逃亡、捜索生活について
パークマンさんの回答「あえて人が多そうな所に行ってみたりもした」
最初はドキドキして楽しかった。
でも、時間が経つに連れて、いい加減見つけてくれよという気持ちが芽生えてきて、それからは自分自身との闘いが続いた。なかなか見つけてくれないグッチー(山口さんのあだ名)に腹が立って、あえて人が多そうな所に行ってみたりしたこともあった。
でも、それは間違いだった。
一人で行く遊園地ほど悲しいものはない。開園から閉園までいたけど、乗り物はコーヒーカップにしか乗らなかった。
なんで、唯一の乗り物にコーヒーカップを選んだかだって?
漫画喫茶のドリンクバーでいつもお世話になっていただけに、それは流石に乗っておかなくちゃって思ったからだよ。
山口さんの回答「鬼としての義務を果たさずにいることは出来なかった」
かくれんぼの途中で帰ってしまった当時は、正直なところ、あのまま彼が隠れ続けているなんて考えもしなかった。
その日はカレーだったので、そのことばかりに頭がいっていたのだと思う。
でも、次の日からパークが学校に来なくなって、私もようやくそのことに気がついたんだ。
大人になってからも、かくれんぼを続けなくてはならないのはとても辛かったが、鬼としての義務を果たさずにいることは絶対に出来なかった。
月に一度、あるいは年に一度くらいは、かくれんぼをした公園に行ってパーク(パークマン氏のあだ名)を探したりもした。
当時のままの格好をしていたことについて
パークマンさんの回答「服を着替えるのはフェアじゃない」
服を着替えるのはフェアじゃないと思って、同じ服を着続けた。それでは『かくれんぼ』ではなく、『変装』になってしまう。
身長が伸びて、段々着ていたシャツがチビTシャツみたいになってきたのにはビックリしたが、大事に着ていたので破れることは最後までなかった。
ただ、半ズボンは寒かったし、ちょっとした大人の事情が起きると凄く痛かった。夏になっても真っ白なままの膝小僧と、この異常なまでにマゾな性格は、たぶんそれが原因。
でも、かくれんぼ中のマイライフは、ショートパンツというよりはロングパンツのように感じられた。
だから、スーツを着るのも、実は今日が生まれて初めてなんだ。ロングパンツって楽だね。
山口さんの回答「パークのフェアさは、あんまり意味がなかった」
当時からパークは凄く公平さを重んじる男だったので、服は絶対に当時のままだという確信はあった。
けれども、子供の頃の出来事だったこともあって、どんな格好をしていたかなんて今はすっかり忘れていて、発見した時は最初に言葉を交わすまでは、露出狂の外人がいるとしか感じなかったから、結局パークのフェアさは、私にとってあんまり意味がなかった。
ただ、一瞬だけ彼の膝小僧にオロナインを塗ってあげたいという気持ちが芽生えたことだけは、世の女性達に強く主張していきたい。
パークの服装は忘れてしまっても、人としての優しさは絶対に忘れない男だってことをね。
逃亡・捜索中の毎日の食事、寝泊りについて
パークマンさんの回答「週に一度は自分へのごほうびにビジネスホテル」
スズメの涙ほどのお小遣いしか持っていなかったから、ほとんどが野宿だった。食事は優しい大人たちに分けて貰っていた。
でも、高校生ぐらいになってからは、偽名を使って派遣でアルバイトをするようになって、週に一度は自分へのごほうびにビジネスホテルに泊まれるぐらいにはなった。
因みにお気に入りのアルバイトはピッキング作業。仕訳すべき商品を見つけるのは、いつもは見つけられる側である私だけあって凄く得意だった。
その後の食事については、主にバイト先で出る弁当か、闇市で買ったヤミ米を食べていたため、取り立てて変わったものを口にしたということはなかったが、腹ペコで食べた、生のヤミ米のフィールソウグッドな味は未だに忘れられない。
逃亡中は靴を履いていなかったから、ある意味私も『はだしのゲン』みたいなものだったしね。
山口さんの回答「ずっと無職だったから、親には経済的に迷惑をかけた」
パークのことを気にかけつつも、実家に住んでいたおかげで、きちんと3食取っていた。
ずっと無職だったから、親には経済的に迷惑をかけたが、プロの鬼として食っていけるようになるまでは、仕方がないことだと思った。
学生時代に刑事を目指していたのも今では良い思い出。試験に落ちたということで、すぐにあきらめたあの時の自分がいたからこそ、最後の最後にパークを見つけることが出来たのだと、自分で自分を褒めてやりたい。
あと、たとえパークを捕まえても、一切収入にならないということには、最近になって気がついた。

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